2009年1月14日水曜日

ブログペットとブログ妖精

このブログにはブログペットを導入していたが、小癪にも登録したAtomフィードに対して形態素解析なんかまでやっている様子で、人工無能っぽくおしゃべりしたりブログ日記に自分のブログの感想がわりとそれらしく自動生成されたりしていた。そこで絵柄的に抵抗のあった(まあ自分一応堅気の人間なので)ブログ妖精こころが意外と面白いかも(より人工無能として優れているかも)、と思ってしばらく前にブログ妖精こころに変更してみた。そしたら見た目はブログペット寄り人間っぽい(まあ異論は多々あろうが)くせに、ブログの内容依存の発言はほとんどなく、好感度を上げるための種類の少ない定型的な質問とかニュースの紹介とかばかりで、「意外に知性を感じさせる場面、人工知能としてのそれらしさ」が皆無だった。結局ブログペットに戻した。

うーん、これは、往年のペルソナウェアとか「何か」とかが結局ただのニュースリーダだったのに感じた失望と同じ失望だなあ。

デスクトップマスコットとかその延長としてのブログペットとかって言うのは、飽きさせない要素=ユーザに関連したコンテンツ(ブログペットの場合はブログ)の自動生成が必須なんだよな。それは拙いもので十分というかその方が良くて、それで生まれる意外な``それらしい''結果が訴求ポイントとなるものだ。特に、ユーザとの間で共有される何かに関連して自動生成されるとなお良い。ブログペットの場合ブログのAtomフィードを``読む''というのは、とても強力な特徴だ。しかしブログ妖精こころはそれをほとんど活かしていない。

ブログ妖精はギャルゲーがブログパーツになりましたっていうコンセプトじゃないわけだから、「いやいやこれが意外と面白い事をしゃべるんですよ」と人/自分に言い訳できる要素がないと。それは堅気の人にとってのブログに萌えキャラがいる事への抵抗感への言い訳という事以前に、それがないとまずブログの執筆者自身が、そしてブログの読者も飽きる。絵柄は付加価値でしかないのだから。多分堅気じゃない人たちでもそうだ。というか、そういう人たちの方がこういう``安易な萌えキャラの使用''に対してはシビアな判断を下すだろう。

これがオリジナルのブログペットみたいに、稀にまるで本当にブログを読んで感想を喋ったり書いたりしているみたいな絶妙な反応をするのならば、堅気のブログ執筆者がブログ妖精こころに「萌える」という事にもなるだろうに。ブログペットが意外と面白いだけにブログ妖精こころがこの域に留まっているのは少々残念。お風呂シーンも見れたので(堅気はどうした)ブログペットに戻そう。

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